読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

bunoshi

働き方を考えるブログ

ドラマチックに海外転職もアリです。30代女性の転職体験

転職 転職-体験談

ドラマチックに海外転職もアリ

自動車会社の国内販売部門で営業事務の仕事をしていましたが、30代で転職してタイのバンコクの自動車部品製造工場勤務の通訳として働いています。

 

仕事が面白かった新人のころ

新卒で採用されたのは日本を代表する大手自動車会社で、当時は同じ大学でも一部上場企業に就職できるのはごくわずかな学生だけだったので、両親も喜んでくれたのでとても嬉しく、社会人のスタートは華々しい気持ちで切ることができたのをよく覚えています。

国内販売部門に配属になり、営業事務の仕事を9年続けました。

 

新入社員研修では工場で実際にモノづくりを目の当たりにしたり、自宅から離れた他県のディーラーでお客様に自動車を購入していただく第一線の仕事を2ヶ月間体験したりと、忙しくも刺激に満ちた日々で、大きな自動車会社の一員として会社に貢献できるように知識を身につけようという気持ちでいっぱいだったのです。

 

わからないことや失敗もたくさんしましたが、幸い良い先輩が指導役としてついてくれていたので「失敗できるのは今のうちだけ。

大切なのは同じミスを繰り返さないこと。」と言ってくれました。

 

いつか自分が先輩として同じ言葉を新入社員にかけてあげられるようになりたいと、いつもその言葉を胸に刻んで仕事をしていたものです。

 

営業事務の仕事を覚えて慣れてくると、次第に自分でもっと業務を効率的にできないものかとやり方を変えてみたりして、さらに仕事を面白いものにしたいと頑張りました。

 

営業事務の仕事は、営業の外回りの社員をオフィスの中からサポートする業務がメインで、実際にお客様と関わることはありません。

 

自動車会社つまりメーカーの営業は、各地にある販売会社を相手に売り上げや新車についての話をするので、お客様が車を購入するときの窓口はディーラーと呼ばれる販売会社なのです。

 

内勤の事務の仕事は売り上げ台数や金額のリストを更新したり、営業の外回りの社員が社内外で会議に使う資料をまとめたりすることが主でした。

 

大切なデータですし責任は重いですが、単調な作業を毎月繰り返すことと、日によってはパソコンとにらめっこの状態で一言も話さないまま就業時間が終わることもありました。

 

モチベーションが下がり始めた中堅のころ

正直言うと単調な作業に飽きてきてしまい、仕事に対するモチベーションが保てなくなっていたのです。

それが転職に向けてちらっと考えるそもそもの発端だったのかもしれません。

 

勤続7年目で同じ仕事を続けていると、慣れも手伝って仕事はテキパキと速くできるようになっていましたし、資料の内容についてどんなことを聞かれても答えられる自信もありました。

 

後輩を指導する機会にも恵まれて、新入社員時代に先輩がかけてくれた言葉を同じように言ってあげる夢も叶い、ベテランと呼ばれる社員になっていたのです。

 

30歳を目前にして同期入社の友人達を見渡すと、既に部署の要となってバリバリ頑張る人、結婚を機に退職して子育てをしていたり、社会人留学で海外に渡った人もいました。

 

皆それぞれの道を邁進して充実した30代を進むのだなあ、自分はこのままでいいのかなと急に疑問を持つようになったのです。

 

営業事務の仕事をしている社員の中ではいつの間にか一番年上になっていたこともあり、少し焦る気持ちも出てきていました。

 

異動を考えたきっかけは上司の言葉

半期に一度の上司との定期面談の時に、自分の気持ちを正直に話してみたところ「先輩として、さらに頑張って事務員をまとめていってください。」というコメントをもらい、その瞬間に営業事務の仕事はこれ以上続けられないとはっきりと思ったのです。

 

数日間考えて、再び上司に時間をもらい異動願いを提出しました。

 

営業事務から逃れたいだけなのではないかという甘えのような考えではいけないと迷ったのですが、やはり新しい仕事にチャレンジしたかったのです。

 

外回りの社員をサポートする業務をしていたので、知識と経験を活かして自分が外回りの仕事をしてみたいと願い出たのですが、その場で却下されてしまいました。

 

居心地の決して悪くはない国内販売部門から離れるのは抵抗があったのですが、他部門でも他の事業所でも外回りの仕事に就きたいと希望を出し、次の異動のタイミングまでは気が気ではありませんでした。

 

数ある他拠点へ通勤するならどのぐらい時間がかかるか、遠隔地なら一人暮らしになるかなどをシミュレーションするのは実際楽しく、販売会社へ出向してそこで活躍して本社に戻ってくるなんて案も勝手に作り出して、都合の良い空想に浸っていたのは考えが甘かったなあと笑ってしまいます。

 

次の異動の内示のタイミングでも、その次も上司からは何も言われることはなく営業事務の仕事をする日々は続いて、気が付けば1年半が経ち30代になっていました。

 

「もう少し、次のタイミングで異動だから。」と勝手に自分に言い聞かせていましたが、さすがに焦る気持ちばかりが募りました。

 

長年勤務する自動車会社を飛び出して、新しい世界に飛び込むことを視野に入れるようになったのはその頃からです。

 

異動が叶わなかったから、転職を決意する

転職するなら外回りの仕事とは言っても、自分は何がやりたいのかどんなことができるのかを考えるのは、ずっと同じ一つの会社に勤務して外に出たことがなかったのですから、容易なことではありませんでした。

 

営業事務の経験と知識を具体的に活かせるのは、やはり自動車会社ですが、競合他社に移るのは気が進みません。

 

パソコンでの作業が多かったのですが、ルーティーンのインプット作業などでパソコンスキルは自慢できるようなものではなく、特別な資格を取得したりスキルを磨く努力をしてこなかったことを悔やんだものです。

 

外回りの仕事とは何だろうと考えてみた時に思ったのは、実際に人と話がしたいというシンプルな欲望でした。

 

作成した資料を外回りの社員に渡すときに、毎回簡単な打ち合わせをしたのですが、内容のポイントを説明して理解してくれたときに喜びを感じたのを思い出したのです。

 

外回りには外国人の社員もいて、私の拙い英語でも内容を伝えることができていたのは実は少し鼻が高かったものでした。

 

英語が流暢に話せたらこんなに良いことはないのになあ、と何百回も感じたことを改めて思い知らされました。

 

同時に、子供時代をタイで過ごしたためにタイ語が話せるのだという、自分でも忘れていた特技を思い出したのです。

 

父の仕事の都合でバンコクの日本人学校に通っていましたが、メイドさんがタイ語を教えてくれて会話はできるようになっていました。

 

日本ではタイ語を耳にすることはなく、就職活動時に特技として履歴書に記載しても、面接のときに少し触れるぐらいのもので、タイ語を使った仕事を考えたことはありません。

 

思い切ってタイのバンコクに渡って、タイ語と日本語を使う仕事に就くことができないだろうかと、両親に話してみました。

 

両親はとても驚いていましたが、大反対まではしませんでした。

 

自分の人生だから好きなことをやるといいと背中を教押してくれただけでなく、バンコクの知り合いに連絡を取ってくれたのです。

 

きちんとした就職先が決まって、住居などもしっかりした場所が確保できたらという条件で、タイに渡ることを了承してくれました。

 

具体的に話が決まるまで、上司や同僚をはじめ友人の誰にも話しませんでした。

 

話した時の彼らの驚いた顔と、温かく応援してくれた言葉の数々は今でも忘れられません。

 

タイ、バンコクへ転職

インターネットでバンコクのリクルート会社を調べて、履歴書を送ってコンタクトしてみると、いくつかの仕事のオファーがあり少し具体的に内容を聞いてみました。

 

しかし最終的に決まったのは、父の知り合いが紹介してくれた日系の自動車部品会社で、これまでの自分の自動車会社勤務の経験を重視してくれたのでしょう。

 

スカイプ面接では日本語とタイ語、英語の3ヶ国語を試されて、本当に心臓が口から飛び出るほどに緊張しました。

 

バンコク郊外にある工場勤務の通訳という立場で、日本人マネージャーや駐在員とタイ人マネージャークラスの英語のミーティングに参加すると同時に、工場のタイ人工員のタイ語ミーティングにも入り、日本人とタイ人両方のサポートをすることを求められました。

 

そんな大変な任務が自分に勤まるのだろうかという大きな不安があったのですが、前任者が辞めるタイミングで比較的長期間引継ぎができるというので、やってみることにしたのです。

 

天職に出会えました

実際にバンコクに赴いて新生活を始めると同時に仕事がスタートして、3ヶ月経つまではもう一杯一杯でほとんど何も覚えていません。

 

それでも、思い切ってやってみて良かったと思っています。

 

日本とは異なる文化や言葉の中で生活するのは刺激的であると同時に、日本人としての誇りを思い出させてくれるからです。

 

前任者の日本人女性はとても親切にしてくれて「最初のうちは失敗しても大丈夫だから。」とかつて先輩が話していたのと同様の言葉をかけてくれ涙が出そうになりました。

 

彼女は、仕事の内容だけではなく文化の違いや生活の便利情報に至るまでを教えて、助けてくれました。

 

職場の人間関係や何か困ったことがあって退職するのではと少し疑ったりしましたが、そうではなく、ご主人の転勤についてマレーシアへ行くのだと聞き、嫌な職場ではないのだと安心したのを両親に話したことはなぜかクリアに覚えているのです。

 

仕事をする上で、タイ語だけではなく英語もかなり上達したのは良かった点で、日本語の言い回しやイントネーションに気を配るようになったのも今までにはなかったことです。

 

この仕事に就いて悪かったことというのは、給与が以前よりも下がったことと、福利厚生が前よりも良くないことです。

 

やはり大企業勤務で恵まれていたんだなということは、外に出てみないとわからないのかもしれません。

 

しかし仕事のやりがいという面では、通訳をしている方が自分にとっては格段に大きいので後悔はしていません。自分にとっての天職に巡り合えたと思っています。

 


----- カテゴリ -----
転職 30代の転職 働き方コラム 派遣から正社員 ニートから正社員 転職サイト 転職エージェント 雑記

転職30代の転職派遣から正社員ニート・フリーターから正社員働き方コラム転職サイト転職エージェント雑記ブログ運営
免責事項

Presented by bunoshi