責任を取れない人はどんな決断も逃げ腰になります。
例えば何か問題にぶつかったとき。
仕事上のトラブルでもプライベートでもなんでも良いのですが、そんな時何を基準に自分の行動を決めますか?
最近この判断し決断することが出来ない人、いや違うな。
自分で決めているのだけど実は人任せになってしまっている人を続けて見たり聞いたりしました。
おそらく本人は気がついていないでしょう、必死に行動していましたから。
ただその判断のまずさと決断の遅さが気になりました。
決断とは責任を持つこと
はっきり言ってしまえば、判断を間違える人や決断できない人は責任を取ることが出来ない人です。
どこか人任せにして、何か問題が起これば「あの人の指示通りにやった」と逃げ道を持っていたいのでしょう。
だから判断することが出来ても、その内容は逃げ腰でどこか中途半端。
そして決断する時も複数の人が同意してくれないと不安になる。そんな風に見えます。
責任を逃れたい思いが対応を遅くする
例えばつい先日発生した製造工程での不具合。
この不具合はその場で再製作を開始すれば納期が遅れることはなく、社内処理だけで解決出来る内容でした。
でも、実際に取られた対応はこんな感じ。
製品を作る工程の一番初めで不具合が発生。
現場の担当者は製造部と上司に報告します。報告した内容は次の通り。
- 型製作で工程不良があり、製品の一部に形状不良が出た。
- 不良形状のまま製作を進めるか、加工で形状を作るか客先に問い合わせてほしい。
報告を受けた製造部の課長はそのまま客先へ連絡を入れました。
客先へメールで連絡を入れた後、営業担当に不具合の報告。
現場から打ち上げられた内容をそのまま伝え、
「今確認しているから回答が来るまで製作を止める」
と言いました。
当然納期があるので焦った営業担当は、早く回答を貰うため、客先へ電話を入れます。
ところが客先の担当者は長期出張で不在。
どうしようと一人頭を抱えていました。
まぁ不具合が発生した品物をそのまま納めても良いか、それとも加工で形状を作っても良いかと客先に聞く時点で間違っているのですけどね。
こんなことを聞けば「きちんとした物を作ってくれ」と言われるでしょう。
それに社内で発生した不具合の対応を、客先にしてもらう時点でおかしな話です。
現場の担当者は
- そのまま工程を進められれば自分のミスにはならない
と思ったようですし、製造の課長は
- 現場がそう言っているから対応しただけ
だと言っていました。
営業担当は
- 製造課長が対応を決めたから従った
そうです。
結局発生した不具合の責任をだれも取ろうとせず、客先へ押しつけているだけ、です。
判断を間違えない為に基準を持つ
責任を持つのは勇気が必要です。
上の例は責任を持つ勇気を誰も持っていなかったから、グダグダな対応になったのです。
本来は「作り直せ」の一言で終わる内容。
客先に報告した分会社の評価が下がっただけです。
一番の問題は、不具合に対して判断するときの基準が
- 「自分は責任を取りたくない」
になっていることでしょうか。
本当は「お客様に満足してもらう」事を最優先で考えるべきです。
この考えが基準になっていたら、不具合品を使ってもらおうとか、加工でごまかそうとは考えなかったでしょう。
どうすれば、日程を変えずに良い製品を作ることが出来るかを真っ先に考えたはずです。
でも残念なことに、下から上への報告がそのまま流れているところを見ると、会社全体に「責任を取りたくない」と言う雰囲気があるのかもしれません。
この判断する基準は、普通の会社であれば「綱領」や「ねがい」とかに書いてあると思います。
もし仕事で判断に悩むことがあるなら、その会社の考え方を基準にして判断すれば間違えることは少なくなります。
会社の中心となる考え方が書いてありますから。
基準は生き方そのもの
仕事以外でも判断、決断しないといけない事は沢山あります。
進学や就職もそうですし、結婚もそうです。子供が出来れば育児も、判断と決断の連続じゃないでしょうか。
だから自分なりに基準を持っていると「いざ」と言う時、悩まなくて済みます。
参考までにぼくの基準は次の二つです。
- 子供が恥ずかしいと思うことはしない
- 子供にやれと言ったことは自分も必ずやる
例えば、「道路を渡るときは横断歩道を渡れ」と子供に教えたら必ず横断歩道を渡りますし、ぼくがやったことで子供が恥ずかしいと思うことが無いように気をつけています。
仕事では昔勤めていたホームセンターの考え方が好きです。
- 世の中の人々の幸せの為に、この仕事がありますように
ぼくは出来ないものは出来ないとはっきり言います。
「出来るかもしれません」で期待を持たせると、出来なかった時にお互いが嫌な雰囲気になるからです。
最後に
「三人集まれば文殊の知恵」と言いますが、責任を取れない人が3人集まってもろくな知恵は出ません。
何とかしようと言う思いがあるから知恵が出るのです。
それに間違った判断をしてもほとんどは自分じゃ分からないもの。だからこそ基準になる考え方が必要です。
「お客様に満足してもらう」事を考えていれば、問題が起こった時も「満足してもらうにはどうすればいいか」と考えられます。
「責任を取りたくない」と考えていれば「責任を取らなくて済む方法は無いか」と考えます。
そう言う性格だから、なんて言う人もいそうですが、結局は「どうありたいか」と言う事でしょう。
「どう思われたい」でもいいのですが、ちょっと違います。
周りから「どう思われるか」じゃなく、自分が「どうありたいか」です。
そんなことを不具合の対応を見ていて感じました。
結局責任が取れない人は、どんな決断にも逃げ腰になります。
その結果、どうでもいい問題が連続で起こり、最後には手に負えなくなるわけです。