「普通、皆知っているよ」「普通はこれ、やるよね」
そう言われ「知らない」とか「興味がない」と答えると、「普通じゃない」とまで言われることもあります。
「普通じゃない」と言われると、傷つきますよね。
この記事では、頻繁に使われる「普通」について考えています。
普通とは?
普通とはいったいどういう意味なのでしょうか。
コトバンクで調べると、次のような意味でした。
[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。
[副]たいてい。通常。一般に。
「普通」は意味の範囲が広く、「どこにでも普通に生えている草」のように、ありふれている、珍しくないの意、「ごく普通の子」「普通科」のように、特に変わりがない・平均的・一般的なの意に使われる。
引用:コトバンク
ありふれている、珍しくないという意味ですね。
つまり「普通知っている」とか「普通はやる」といった使い方をするときは、「知っていてあたりまえ」「やってあたりまえ」だと言いたいのでしょう。
「普通じゃない」というのは、「珍しい!」ではなくて「おかしいんじゃない?」という意味でしょうね。
「普通は〇〇だよ」は偏見になることがある
その人にとっての「普通」は、周りから見ると「普通」じゃないことがあります。
例えばインターネット広告に詳しい人は、「PPC(Pay Per Click)」や「アドセンス」「CV(コンバージョン)」「PV(ページビュー)」などを知っていることが「普通」です。
でも興味のない人からすれば、「PV」が「プロモーションビデオ」の略だと思うかもしれないのです。
「SE」にしてみても、「普通」はシステムエンジニアの略だと言う人がいれば、いや効果音(Sound Effect)のことだろ?と言う人もいるはずです。
つまり「普通」とは、その人にとっての「主観」でしかないといえるのです。
そして大勢の「主観」が一致したときにはじめて、「普通(ありふれている・珍しくない)」になります。
なのでごく一部の人が「普通」だと思っていることを押し付け、知らないことを「普通じゃない」と言い切ることは「偏見」になることがあります。
「普通じゃない」と言う人からは距離をおく
自分が知っていることを相手が知らないときに、「普通じゃない」と言い切る方とは距離を取るべきです。
なぜならこういった人は「普通」に、人をバカにして見下す方だから。
そもそも生まれた土地や育った環境、通った学校などによって「普通」は異なります。
「常識」も知っていて当たり前として扱われますが、育った国が異なれば「常識」も違ってきます。
つまり大勢の人が生活する限り、多様性は必ず生まれるものです。
それを「普通じゃない」とバカにし、見下す方となぜ一緒にいる必要があるのでしょうか。
「普通じゃない」と言われても気にしないこと
あなたの「普通」がほかの人を「普通じゃない人」にします。
また「普通は〇〇」という表現は、悪意がなくても人を傷つけます。
ましてや「普通じゃない」という表現は、相手を珍しい生き物としてバカにしているのと同じです。
相手の気持ちも考えられず、一時の優越感で「普通じゃない」と相手をバカにする方が、よっぽど「普通じゃない」でしょう。
なのでもし「普通じゃない」と言われても、気にしないことです。
そしてそんな言い方をする人とは、距離を置くことをオススメします。